- 歌曲
- 时长
简介
キアロスクーロ―明るい、澄んだといったニュアンスのchiaro、暗い、濃いのscuroとを組みあわせたこの語は、ルネッサンス期に生まれた美術の明暗法を意味する。中世に描かれたあまたの宗教画、あるいは、ボスやブリューゲルの作品と、ダ・ヴィンチからラファエロ、さらにカラヴァッジョ、ラトゥールといった高名な画家たちの作品とを、それぞれ想いうかべてみればいい。これらのあいだには表現の違いがあるのがわかるだろう。後者の画家たちの作品には、光と影の、見えるものと見えないもの。見えにくいものとのコントラストとがはっきりとある。わたしたちにはもうすでに親しくなっているが、そこには表現のうえで、いや、「みる」ことのうえで、大きな変化があったのだった。 弦のヴィオラと、管であり鍵盤であるアコーディオン。バッハとピアソラ。宗教的な背景を持つ作品と世俗的な作品。赤坂智子・大田智美、2人の「智」を介する名が交差しつつ、「坂」と「田」の地形的な差も含み。そうしたところを明暗、キアロスクーロという語でみなおしてみればいい。 もちろん、こんな、ことばでいえることなど表面的にすぎない。演奏を聴いてみればわかるとおり、ここには、紡ぎだされる複数の音・音たちによる、前景化し後景化するメロディーやハ一モニーの、さまざまな音色の、テンポのグラデーションが、刻々と変化するさまが、美術とは異なった時間の刻々と変化するながれのなかで、あらわれてくるのだから。もしかすると、だ。楽曲名がならんでいるのをみただけではぴんとこないかもしれない。バッハの聖書にもとづくタイトルはややこしく紛らわしかったりもする。でも、音楽を聴けばひとつひとつはっきりとわかるだろう。アルバム全体をとおしてこそあらわれてくるのが、文字どおり、時間によってあらわれるキアロスクーロなのだ。昨今気がむいたものだけネットでDLする聴取からではみえてこないものが、アルバムを順番どおりに聴いてこそ浮かびあがるもの、聴き手のなかにおこることどもが、しっかり曲目に、曲目のならびにあらわされている。 バッハとピアソラ、というようなプログラムは珍しくはないだろう。弦楽器とアコーディオンという組みあわせも同様だ。それでいて、そう見えない、聴こえないのは、「キアロスクーロ」が意識されているからだ。ゆっくりと静かな曲調のものだけを集めたバッハがつづき、やはリテンポがゆっくりしたくオブリビオン>を経過句のようにして、規模の大きな、そして20世紀的なくタンゴの歴史>へとはいってゆく。最後にはアンコールのように、アップテンポの、いろいろな要素をとりいれたくチェ・タンゴ・チェ>で締めくくる。前半と後半でのキアロスクーロと、ピアソラ作品内でのキアロスクーロ。部分的に入れ子になっているような構成。